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『苫野一徳氏 「教育の力」について。』

タイトル通り、最近教育関係者の間で話題になっている「教育の力」を参考にしながら、今の教育をちょっと考えてみます。
この本の中では多様な教育の中でもとてもラディカルな例として、アメリカのサドベリーバレースクールが紹介されていたりします。
内容は公教育を中心に展開されていますが、オルタナティブスクールについての考察もあります。

基本的にちゃんとした教育学を受けたわけではないので、ある部分で知識が欠如している所もありますが、
オルタナティブスクールに実際に通った人間が「生徒」としての目からもこういった教育を考えることも面白いのかなーなんて思っているので、よければお付き合いください。
こういう教育関係の本からの考察はこれからも不定期にやる予定です。


まずこの本に対しての僕の意見を述べますが、基本的な原理(自由の相互承認)の考え方については、大賛成。
なぜなら、サドベリーも両親(というか母親)の教育方針も、全て「子どもが生きたいように生きる」という考え方を中心に置いているからです。
また教育哲学家には当たり前のことかもしれませんが、教育を語る際にその原理から考えるという姿勢はとても大事だなと痛感させられました。

とにかく学ぶべきところが多すぎた今回の本ですが、そのエッセンスを全部引用することはできないので、
自分が気になった点(良い所も、よくわからなかったことも)をいくつかご紹介します。


 

■生きたいように生きるために


苫野氏は、人は根本的に自由を求める存在だということ、また自分が自由になるためには他者の自由もまた認めなければいけないこと、
しかし人類歴史の中で他者の自由を承認し、自分自身の自由を獲得することがいかに難しいかを語っています。

そのために、自由の相互承認が必要であると。

どんな帝国も、どんな君主も、その権力を永続化させようとすれば、それを阻む勢力によって必ず打ち倒されてきました。
だからこそ、わたしたちは、自分が〈自由〉になるためには、他者の〈自由〉もまた、つまり他者もまた〈自由〉を求めているのだということを、ひとまずお互いに承認しあう必要がある。

教育の力


これを聞いたとき、サドベリーやサマーヒルなどで見られる「ミーティング」が思い浮かびました。
もちろん自分自身もサドベリーに通いながら体験したことでありますが、これも自分の意見を承認してもらうためには、自由の相互承認の原理が必要なんです。
学びの予算を使用するだけでも法外な予算を求めれば当然却下されるし、その辺のさじ加減と自分自身の欲求とを上手く噛み合わせる必要があったんです。
自分のしたいことをするというと、よく「わがままになるんじゃないの」とか言われるんですが、実は誰よりも「自由の相互承認」を肌感覚で理解していないと、自分の好きな活動が何1つできなかったのでした。

自分のしたいことをするからこそ、他者の承認が必要なのです。

その辺最初は全然理解していなかったから、サドベリーに入学した当初はテンパっていた自分・・・ 笑


 

■学び続ける力


人が生きたいように生きるためには、その時その時の社会状況を踏まえて子どもたちが社会で活躍するためにどんな力が必要とされているのか
というところについても、きちんと考えられなければなりません。
この「生きる力」について、次のような考察がされています。

近年における企業組織のシステムの変化を、「支配モデル」から「協働モデル」へと呼んでいます。
(中略)それはつまり、今日企業に勤める多くの人たちは、いわれたことをいわれた通りに忠実に遂行するだけでなく、
その場その場において、自ら考え、そして絶えず「学び続ける」ことを求められているということです。
(中略)現代社会や企業が求めているのは、決められた細かな知識を忍耐強く、”覚えこむ力”よりは─もちろんそれも一定、
また人によってはかなり必要ではありますが―必要に応じて必要な知識・情報を十全に自らのものとしていける、そのような”学び続ける力”へとすでに移り変わっているのです。

教育の力


で、この「学び続ける力」特に重要なところなので、別の文も引用させてください。
 

現代の公教育がその育成を保障すべき「学力」の本質、それはとどのつまり、「学ぶ力」のことである、と。
教育は、子どもたちに「学ぶ力」を育むことで、その後の長い人生において「自ら学び続ける」ことを可能にする、その土台を築く必要があるのです。
先述したように、それは必要な時に必要な知識・情報を的確に”学び取る”、そしてそれをもって自らの課題に立ち向かっていける、そのような”力”のことです。

教育の力


そして、こういった常に学び続けることを強要される社会を、”学習資本主義社会”と呼ぶ。

自分自身を振り返ってみると、今教育学は大学の授業と独学にて、マーケティングと経営は勝手に本読んでいて、広報担当なので
自分たちの団体に当てはめて考えたりしておりますが、実際かなり興味・関心を持って取り組んでいるのでした。
一般的な授業で得られる全ての知識は備わっていないし、きちんと幅広く学習しているわけではないので普通の大学に通うより進行速度はよほど遅いと思う。
ただし意欲関心、学び続ける態度という点で見れば、もしかすると成功だと言えるのかもしれません。(基本的にサドベリー教育では当人の状態に関して成功の可否は定めていませんので、一概には言えません)

ただサドベリー含め他の教育も一定社会的認知を求めるのならば、ある程度他者の承認を得ることができるように「学校の成功例をどこに置くのか」をきちんと定めないといけないじゃないか、と思います。


 

■オルタナティブスクールと公教育の共存、あり方


1つだけこの本で気になった点があるんですが、他のブログでも指摘されているように、
苫野氏がオルタナティブスクールに対してどのようなお考えをされているのか、が気になりました。

サドベリーバレースクールはとてもラディカルな例として紹介されていて、苫野氏はむしろ「合理的」だと説明しています。
では例えば合理的だとして、今後どのような展開をしていけばよいのか。それももちろんアメリカやオランダで、ではなく、この日本にて。
もちろんこちらはこちらで考えを持っていますが、苫野氏の意見を知りたかった。
現状日本のオルタナティブスクールでは公的支援を受けていないところが多く、最低限学校経営をして回していくため、
公教育の学費と比較すれば比較的割高な学費を徴収しています。また学校数自体もとても少ない。
このような現状にあって、今後どのように共存していくべきなのか。
またその中でオルタナティブスクールはどのような役割を果たすべきなのか。
別の本か何かで書いてくれないかな。



とりあえず、もっと述べたいことはありますが、今日はこのへんで。
教育を考えるうち、また色んな教育を知って相対化するうちにサドベリーの課題点なども浮き彫りになってきていますので、
その辺を近いうちにまた改めてこちらのブログにて紹介したいと思います。

今、「教育の力」の原理編である「どのような教育が「よい」教育か」も読んでますので、それもまたそのうちに。
苫野氏、関西でご講演して頂けないだろうか。。。




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米澤悠亮 (よねすけ)

西宮サドベリースクール元生徒(OB)、
現在は広報担当スタッフ。

「子どもたちにとって、本当によい学校環境とはなにか」を考えることの出来るような場創りを行っています。
サドベリーに関わったものとして、教育をもっとよくしていきたい。

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